映画「奇跡の人」より学ぶ

こんばんわ。イチです。

 

みなさんは、自分を成長させることや、自分以外の誰かの成長に対して興味がおありでしょうか?

もしあるのであれば、今日の記事を是非参考にしてみて下さい。

 

今日は、人が成長するために、人の成長を促すために大切な事を実体験を交えてお伝えしたいと思います。

 

我が家の次女は

我が家には、もうすぐ10ヵ月になる次女(ちーちゃん)がいるのですが、一回目の授乳は私がミルクをあげて、二回目は奥さんがあげています。

 

8ヵ月頃のことですが、他の同じ月齢位の子供を見た時に、自分で哺乳瓶を持ってミルクを飲んでいる姿を目にしました。

 

一方、ちーちゃんはというと、むしろ手でバンバン色んな所を叩きながら飲んでいるので、自分で哺乳瓶を持とうなんて微塵も感じていなさそうでした。

 

 

 映画「奇跡の人」

その頃、師に勧められて「奇跡の人」という映画を見ました。

みなさんはご存じでしょうか?

 


Anne Bancroft – THE MIRACLE WORKER / 奇跡の人 1962

 

私はこのタイトルだけでは気付かなかったのですが、これはヘレンケラーとその教師サリバン先生の映画だったのです。

 

話はご存じかと思いますが、ザックリ言えば、視覚・聴覚・発話に障害があるヘレンに手を焼く家族が、サリバン先生にヘレンの教育をお願いし、紆余曲折を乗り越えてヘレンへ言語を理解させるに至った。

 

という話です。

 

ヘレンの家族はそれまで、ヘレンには何を教えても無理とあきらめており、ヘレンをやっかいものとして扱っていました。食事も手掴みで食べていた程です。

 

しかし、そこへ来たサリバン先生の、徹底的な教育・指導の元、何と食事をお皿からスプーンで食べさせるに至ります。

 

ここで、家族は満足します。

先生、ありがとう。もう、これくらいで十分だ。

ヘレンのこれまでの状態からしたら、奇跡のような成長ですからそのような心境になるのも無理はありません。

 

たまたま、お祝いの席でのこと。

ヘレンは、また食事での行儀が元に戻り始めます。つまり、悪化します。

 

家族は、「まぁまぁ、今日はお祝いの日だから。これまでに比べたら断然良くなったんだし、今日くらいは大目に見てあげないと可哀そう。」

しかし、サリバン先生は妥協しません。

呆れる家族。しかし、その家族にサリバン先生はこう言い放ちます。

 

「現実を教えないことの方が、よっぽど哀れで可哀そうなことです。」

 

成長の機会

このセリフは本当に心に響きました。

 

というのも、この「今日くらいは大目に見てあげたい。」って感覚、誰でもあると思うんです。

ここで、ちーちゃんの話に戻るんですが、私たち夫婦はちーちゃんに対して

「赤ちゃんだから何もできなくても仕方ない。」

って考えていた節がありました。

 

でも、同じ月齢の赤ちゃんでも、哺乳瓶でミルクを飲んでいる子もいる。

 

つまりは、私たち夫婦が良かれと思っていた認識は、別の側面からみれば、「成長の機会を奪っていた。」という事なんだと、ハッキリわかったんですね。

 

まだ小学生1年生だから、掛け算なんて出来なくてもいい。

ケガをするかもしれないから、包丁は使わなくていい。

可哀そうだから、お手伝いさせなくてもいい。

 

こういった行為も、一見子供を思いやっているように見えて、実は子供の成長の機会を奪う行為でもあった訳です。

 

 

教えるに当たっては

では、教えると決めた後、どのように教えれば良いのでしょうか?

教え方という点でも、この映画は本当にためになりました。

 

サリバン先生は、ヘレンに物事を教える際、

「絶対に決めた通りやらせる!例外は許さない。」

というスタンスを崩しませんでした。

 

私も実はそれを見習って、ちーちゃんの授乳の際、自分で哺乳瓶を持つのを嫌がるのに対し、何度も何度も諦めずに持たせました。

すると、ちーちゃんは嫌になりすぎて、自ら足を伸ばしてのけ反ってしまい、自分の膝の上から落ちてししまうのです。

 

でも、ここですぐに救いの手は出しません。

自分で嫌になってのけ反ると、嫌な目に会う。と、体にインプットさせるのです。

 

これを何度か繰り返していると、あらビックリ!のけ反らなくなりました。

(正確には、のけ反ろうとするのですが、途中で足を伸ばすのを辞めるという感じでした。)

 

ミルクも一緒ですね。

 

頑張って持たせる → 途中で離したらミルクを飲めない → おなかが空いたから泣く → 泣いたからと言って甘やかさず、ミルクを持たせる → 少しずつ持てるようになる

 

こんな調子です。

 

まぁ、一日で出来る訳はないので、親の手を入れることは当然あるのですが、実際上記の通りやってみると、人間には赤ちゃんであれ、ちゃんと学習プログラムが入っているんだなぁと感心させられます。

 

そして、これは自己の成長にも同じことが言える訳です。

 

絶対に逃げ道を作らない。

 

これを課すことで、否が応でも人間に組み込まれた学習プログラムが自己を適切な方向へ適応させていってくれます。

 

(過去記事の絵でいうと、壁にぶつかった後、右矢印のように逃げ道を作らなければ、後は上矢印のように成長するしかない、ということですね。)

373arigatou.hateblo.jp

 

 

ということで、本日もお読みいただき、誠にありがとうございました。

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